白黒、2色の石で巧みに描かれたオスティア のモザイク
ローマ時代のモザイクは、先に成熟したギリシャ時代の写実的なモザイク芸術と比較すると、急速に発展する植民地内公共施設において、広域に利用する必要があった。そのために、図案を簡略化し、白黒の石を使ったモザイクがこの時代に生まれている。数ミリという細密なテッセラを使って人物を超写実的に描くオプス・フェルミクラトゥム(Opus Vermiclatum)(通称マイクロモザイク )の技法はギリシャ・エジプトでは成熟していたが、ローマ時代には、建築空間を広く覆うモザイク床が普及した。自然、テッセラも一つの面が1センチ〜と大きなもので制作されている。オスティアには、白黒やシンプルな色数の石で描いた様々な幾何学文様のモザイクが残っている。モザイク職人の豊かなデザイン発想には驚くばかり。
ローマのお風呂
ローマの都市には浴場がつきものである。
なんと、高温、微温、冷浴部屋、部屋ごと温度が違う浴場施設が整っていたのだから驚いてしまう。
ローマ人にとって、入浴は大事な社会生活の一環であった。オスティア にも20箇所くらい浴場があったらしい。公共建築や貴族の屋敷等に伴って発展したモザイク文化は、浴場の床装飾に用いられていることも少なくない。長い時間を豊かに過ごす場として、耐久性の高いモザイク床は、浴場施設には向いていたであろうし、ローマ市民の美意識にも充分応える装飾芸術であっただろう。
古代ローマ浴場は、<カルダリウム/caldarium高温浴場><テピダリウム/tepidarium 微温浴場><フリギダリウム/frigidarium 冷浴室>と主に3段階の温泉の部屋が中心となって、建設されている。ヤマザキマリ原作の映画「テルマエロマエ」では、風呂の発想に苦心する主人公の姿が描かれているので、ローマ風呂文化は、ご存知の方も多いだろう。
チジアリ浴場 (ぎょしゃの浴場)/Mosaic Terme dei Cisiarii
オスティア の浴場規模は規模は小さい。チジアリ浴場のモザイク遺跡には、海馬に乗るネプチューンや、二輪式戦車を操る”ぎょしゃ”(チジアリ/cisiari)の姿。中央の排水溝(?)を囲むように、ローマの城壁を表す城壁を支える巨人、テラモーン/Telamone(ギリシャ神話)が白黒の石で巧みに描かれている。(モザイクするを”描く”という表現で示しています)
この浴場は冷浴施設(冷水浴)、フリギダリウム/frigidarioと説明があった。入場してまもなく、ローマ門過ぎて出会える最初の整ったモザイク。この度15年ぶりにオスティア・アンティーカ に再訪したのだが、遺跡の整備が進み、当時は近くで鑑賞できたモザイクのほとんどが柵越しになってしまった。後半に2006年撮影の写真をアップした。
Mosaic Terme dei Cisiarii
チジアリ浴場 中央の幾何学的な図は、ローマの城壁を表している。城壁を支える巨人はテラモーン/Telamone(ギリシャ神話)
Terme dei Cisiarii イタリア語メモ
cisiario:cocchiere che guidava il cisio cocchiere=ぎょしゃ
cisio:presso gli antichi Romani,leggero carro a due ruote 2輪の戦車
lo zingarello 1997
(戦車競技のモザイクと訳すとわかりやすいか?)
2006年撮影チジアリ浴場/Mosaic Terme dei Cisiarii
神殿などで建築のハリを装飾的に支えるカリアテード/cariatidi(女性柱)の男性版モザイク表現
スフィンクスは、初代皇帝アウグストゥスの象徴だろうか。
オスティア入り口付近で撮影したのは覚えているが、それが、チジアリ浴場のモザイクの一部か、もはや謎。
2021年現在、これほど良質のモザイク欠片を真上から観察できる可能性はない。
地方の浴場/Terme delle Province
白黒のモザイクで描かれた擬人化のモザイク(各州、スペイン、アフリカ、エジプト、シチリア )と風の擬人化が男性と女性の頭で描かれている。中央にイルカ 。周りに武器や幾何学的モチーフが配置された浴場全容は、特定できない。
多様な宗教と接触したオスティア の古代世界において、モザイクの主題は、神話や宗教的秘儀も描かれる場面が多く、貴重な歴史的資料となっている。海の生き物や、幾何学文様のバリエーションも豊富。
スペイン、シチリア、風を擬人化したモザイク/Dettaglio del mosaico con personificazioni dell’Africa , dell’Egitto e dei venti
松葉に埋もれたイルカ のモザイクと対面した喜びは、今でも忘れない。
あれから15年修復も進み、オスティア遺跡内の整備は整ってきたが、当然モザイク保護の面でモザイクからの鑑賞距離は遠ざかってしまった。苔被害もあるので、冬場はシートで覆われているモザイクも多いと聞く。モザイク目的の観光には下調べを。
後記:視覚優先で、史実と記憶に弱い筆者が、モザイク歴25年の間に見歩いたモザイク遺跡を自分の頭に治めるためにまとめたブログ記事です。モザイク初心者や、モザイクアートに興味をもった方が、よりモザイクアートの奥深さや広がりを感じていただけよう、ローマの歴史を絡ませながら、モザイク周辺の遺跡風景をご紹介しています。古代ローマの扉へ。モザイクの断片と、いにしえのローマの暮らしぶりがつながるよう、ローマ史全体像をざっくりまとめました。
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参考資料:「消えたローマの海港都市1〜オスティア 〜」小川煕 SPAZIO No.69
Wikipedia:Ostia(Citta’Antica)、オスティア・アンティカ
official web:Ostia Antica [Area archeologica di Ostia Antica][Terme delle Province]
web:Ostia Antica Atlas[Terme dei Cisiarii]
Mosaico le tecniche Joan Crous -Diego Pizzol
google用語検索/翻訳
オスティアにおける共和政期の地盤面と帝政期の街路面の地形学的分析 オスティア・ローマ都市研究 III
堀 賀貴
ローマとその世界帝国5 新調古代美術館
ローマ帝国 ライフ人間世界史
OSTIA TOPOGRAPHICAL DICTIONARY Jan Theo Bakker
写真撮影:岡田七歩美 2021/2006
ローマ史メモ
王政期(紀元前753~紀元前509)
共和政ローマ(紀元前509~紀元前27)
帝政ローマ
東西分裂後
西ローマ帝国(395年~476/480年)>ラヴェンナ
東ローマ帝国(395年~1453年)>コンスタンティノーポル
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