オスティアの暮らし
かつての港街、オスティア ・アンティーカ/Ostia Antica は、2000年余り前、貿易によって栄え、国際都市として多様な人々の暮らしがありました。古代ローマ遺跡のある旧市街を、オスティア ・アンティーカと呼び、夏場はローマっ子の海水浴でにぎわう港街などのオスティア 新市街と区別されます。ローマの南西25キロ、公共交通でも小一時間でアクセスできる広大なローマ遺跡です。
個人邸宅ドムス/domusと共同住宅インスラ/insula
5万人が暮らすオスティアでは、上・中流階級の暮らす個人住宅ドムス/domusだけではスペースが間に合わず、市民の住宅として共同住宅インスラ/insula (アパート)も多く建てられました。インスラの一階には、タベルナ/taberna(商店)が入り、日常生活に必要な物が売られ、ていました。現代のバール、居酒屋のような設備が整っていたのです。
ドムス内 家族の居室に残るモザイク床・Domus della Fortuna Annonaria
ドムス内の暖房が効いた家族の居室には、神話のシーンを描いた白黒のモザイク床が施されています。
ケンタウロス、テセウスとガニメデ、さまざまな野生動物、そしてロムルスとレムスを吸う彼女のオオカミなど。
神話モチーフの白黒モザイク床 pavimentato con un mosaico con scene mitologiche
アトリウムを囲む居室配置 大理石を壁にあしらった居室
テルモポリウム/Thermopolium
暖かい食事を食べられる食堂、テルモポリウム
後記:視覚優先で、史実と記憶に弱い筆者が、モザイク歴25年の間に見歩いたモザイク遺跡を自分の頭に治めるためにまとめたブログ記事です。モザイク初心者や、モザイクアートに興味をもった方が、よりモザイクアートの奥深さや広がりを感じていただけよう、ローマの歴史を絡ませながらモザイク周辺の遺跡風景をご紹介しています。古代ローマへの扉へ、モザイクの断片と、いにしえのローマの暮らしぶりがつながるよう、ローマ史全体像をざっくりまとめました。
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参考資料:「消えたローマの海港都市1〜オスティア 〜」小川煕 SPAZIO No.69
Wikipedia:Ostia(Citta’Antica)、オスティア・アンティカ;ドムス
official web:Ostia Antica [La Domus della Fortuna Annonaria]
Ostia Antica Atlas
Mosaico le tecniche Joan Crous -Diego Pizzol
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写真撮影:岡田七歩美 2021/2006
ローマ史メモ
王政期(紀元前753~紀元前509)
共和政ローマ(紀元前509~紀元前27)
帝政ローマ
東西分裂後
西ローマ帝国(395年~476/480年)>ラヴェンナ
東ローマ帝国(395年~1453年)>コンスタンティノーポル
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