教会アプス のモザイク芸術

モザイクを巡る旅

後陣(こうじん)/アプス(Apse英/Abside伊)

教会を人間の体と見立てた場合、頭のてっぺんにあたる部分で、天井部が半円形になっている場合が多く、時代が古い教会の後陣はモザイクで聖画が描かれている場合が多い。

聖人の存在を実感する

キリスト教はもともと一神教である。ただし、父なる神だけ信仰するのではなく、神の子で救世主であるイエスやその母アリアも尊崇の対象となった。ギリシア神話で多くの神々や英雄たちが物語を楽しませるように、キリスト教発展の中で、多くの聖人が生まれ、厚く敬愛されるようになった。聖人たちはキリスト教の広まりに豊かさと彩を与えた。キリスト教の聖人たちが人々の信仰の中で大きな役割を果たすようになっていったのは中世である。

”キリスト教美術は、完成した姿でキリストの時代にパレスティナに出現した訳でもなく、コンスティヌスの時代に皇帝の命によってローマから拡がったものでもない。そうではなく、それはゆっくりと少しづつ、3、4、5世紀(あるいはもっとあと)を通じて、ローマ世界各地で展開していったものだ。” 初期キリスト教美術・ビザンティン美術 ジョン・ラウデン

ローマにある中世の教会芸術・アプスのモザイク

キリスト教公認(313年)初期の教会

Basilica di Sant’Agnese fuori le Mura・サンタ・アニェーゼ聖堂(聖アグネス聖堂)

キリスト教の教えを守って殉教したとされる聖女アグネスの墓所の隣に、コンスタンティヌス亭の娘コンスタンツィアによってバジリカ式聖堂が建てられた。その後七世紀前半。教皇ホノリウス一世により再建。
聖女アグネスはビザンティン帝国の皇女の衣装を着けた姿で描かれている。火刑にされたが火が消えたという伝説から、足元に小さな火が描かれている。

Mausoleo di S.Costanza・サンタ・コスタンツァ聖堂 

サンタ・アニェーゼ聖堂に隣接した霊廟聖堂。コンスタンティヌス帝の娘コンスタンツィアは列聖され、その墓も聖堂として使われるようになった。
さまざまな人物像、鳥や動物、ぶどう蔦や装飾パターンからなる四世紀の美しいモザイクが残る。ローマの教会モザイクでも古い時代のものとされています。後世のアプスに描かれたモザイクの主題よりむしろ、同時代の世俗の床モザイクにはるかに似ている。

円形堂のサンタ・コスタンツァ聖堂天井に配置された小アプスには、【法の授与/Traditio legis(“consegna della legge”) 】・【栄光のキリスト/Maiestas Domini (”Maestà del Signore”】が大理石と色ガラスを用いた創建当時のモザイクとされ、現存するキリスト教施設の最古の壁画と見なされる。

法の授与/Traditio Legis(トラディティオ・レギス)

中央に立つキリストから氏とペテロが巻き物を受け取り、反対には賞揚のポーズの使徒パオロが立つ

敬虔な姉妹に捧げられた最古の聖堂

La Basilica di Santa Pudenziana/サンタ・プデンツィアーナ聖堂

アプスのモザイクは、390年頃の制作と考えられる。元老院議員プラデンス邸宅の後に聖女となった娘プラデンツィアーナに捧げた聖堂。プラデンスはペテロを自分の家に泊め、ふたりの娘プラセデスとプデンツィアーナがペテロの世話や迫害されていたキリスト教徒たちを助けたと言われている。モザイクは幾度が修復を受けているが、創建当時の全体の構図は読み取れる。画面中央に豪華な玉座に座したキリストが描かれ、その両端を座像の十二使徒が固めている。

La Basilica di Santa Prassede /サンタ・プラセーデ聖堂

創建四世紀。現在の建物は八世紀末から九世紀初めに建てられた。
アプス手前の【勝利の門】とされるモザイク画は、聖都エルサレムを表した物語が描かれ、後陣アプスは天井の世界を表しています。
【サン・ゼノ礼拝堂】のモザイクはローマでも屈指のモザイク作品、モザイクファン必見です。

「中世とは何か」

美術の歴史を考えるとき、ギリシア文明からローマ帝国崩壊までを古代としてみようか。キリスト教に支配された「中世」からルネッサンスの時代が到来して、長い間閉じ込められた人間性が復活する。私たちは歴史の壮大な流れを、見えない線で区切られた文化が、翌日突然現れたかのように習う。
【中世とは何か】モザイク芸術と出会うことは、美術史の一般的な教科書事項では補いきれない領域に踏み入ってしまったということだ。
よく「モザイクの本はないですか」という質問を受ける。「モザイク芸術」をチョチョっと説明しようとする試みは不毛すぎる。”カワイイモザイクの絵柄モチーフ”を切り取り、”アート”として気ままに制作すれば、私は”それ”で満足できたのだろうか?不効率な私の長い旅路からようやく、自分なりのまとめを始めてみようという思いたちました、キリスト教美術が長い時の流れの中で育まれたように、岡田七歩美のモザイクアートは遅い歩みで日々の生活の中から作られていくようだ。

ローマ必見中世モザイク芸術

これまで見てきたように、ローマにはローマ帝国時代から中世のキリスト教会、そしてルネサンスへの長い歴史上人類が創造したあらゆる美が集結している。何もかもいっぺんに”観よう”とするのは”ムリっ”と覚悟を決めてかかるべき街である。
私の勉強はまだまだ続く。
本記事の最後にもう一つ、忘れてはならないモザイクアートが残る教会を紹介したい。

La Basilica di San Clemente al Laterano/サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂

サン・クレメンテ聖堂は、キリスト教非公認時代に、民家の一部を教会として使っていたティトルスが、改装されて独立した教会となった。ローマにはキリスト教に同情的な富豪の住まいや商店の一部を改造し、信者が礼拝に使用した。これらの建物は、所有者の名前を刻んだ石碑の札を家の玄関口につけていたことから、【名義教会・ティトゥルス】と呼ばれ、四世紀初め25あったと言われている。

キリスト像中心のモザイク画に比べ、極めてユニークな文様が印象的な後陣(アプス)のモザイクには、旧約聖書【創世記】がテーマとして描かれています。【主たる神】、【エデンの園】、【命の木】、【四つの川】です。

サン・クレメンテ聖堂 モザイク芸術 ナホミモザイコ

あとがき

中世、初期キリスト教モザイク芸術を紐解くには、宗教図像学の解釈が必要とこれまで怠けてきました。時代過渡期の混乱がキリスト教を生じたとすれば、私たちが直面する今からも未来が区切るだろう新たな【時代】が描き出されているのでしょうか。わたしたち一人ひとりが生きる今が平和でありますように。引き続き、モザイク芸術の奥深さを学んで参りたいと思います。
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参考文献 【中世ヨーロッパの美術】浅野和生
初期キリスト教美術・ビザンティン美術】ジョン・ラウデン著・益田朋幸訳
ローマの教会巡り】小畑紘一
地中海都市紀行】名取四郎

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