モザイクアート巡礼
私とラヴェンナ
私は1995年〜1999年、北イタリアの小都市ラヴェンナでモザイクアートを学びました。ラヴェンナ留学実現まで遠回りしましたが、今となれば必然のタイミングだったと感謝しています。モザイクはラヴェンナで習い始めました。帰国後も定期的に訪れ、現代のモザイク文化を先導するラヴェンナの懐に刺激を受けています。
ラヴェンナは、古典末期キリスト教美術の宝庫、イスタンブールと並び、モザイク芸術家巡礼の街と讃えられるでしょう。ラヴェンナの初期キリスト聖堂・礼拝堂群は1996年世界遺産に登録されました。ラヴェンナを訪れたら必ず足を運ぶ教会(聖堂)が、煉瓦造り八角堂集中式プランが特徴のサン・ヴィターレ聖堂です。(教会、聖堂、寺院など日本語では表記ゆれがあります)。
サン・ヴィターレ聖堂・La basilica di San Vitale
“一度もラヴェンナを訪れたことのない彼らの肖像が、なぜサン・ヴィターレ教会の祭壇通路の両側に描かれているのか” 【ビザンツ・驚くべき中世帝国】 ジュディス・ヘリン
世俗の人間が描かれたモザイク壁画
八角形空間のサン・ヴィターレ教会アプス内陣には、創建当時のものとされる絢爛(けんらん)豪華なモザイク壁画が残っています。(547年司教マクシミアヌス時代に献堂式・520年造営着工)
よく知られたビザンティン帝国皇帝ユスティニアヌスと皇妃テオドラのモザイクパネルは、内陣の主題の中ではもっとも低い位置、床に近い壁を飾る空間に位置しています。世俗の、しかも存命の人間が内陣に描かれることは異例中の異例です。
アプス内陣直線上に配置された【キリスト表現三態】
アプス中央には【青い球に座す青年キリスト】、さらにその上の天井を飾る【神の羊たるキリスト】、さらに内陣アプス入口の天井アーチ頂部には【厳しい壮年キリスト】の図、【キリスト表現三態】が直線上に並んでいます。
(わたしは何度もラヴェンナに足を運んでいるのに、【キリスト表現三態】の配置は、ブログを書きつつ学んでいます。実際、アプス内陣全体が入る正面構図で収めたショットが自分のデータ記録にあるか、過去の旅路記録も振り返りました。サン・ヴィターレ教会のモザイクアート壁画のボリュームは圧倒的なので、細部を見るためには相当な事前学習が必要です。感動、興味、知識が相まってようやく主題を”観る目”が育ってきたようです。これまではキリスト教の主題に向き合う余裕もなく、荘厳に輝くサン・ヴィターレ教会の印象を受け取るだけで精一杯でしたし、教会内部のモザイクの中でも写真に収めやすい、複製原画のモチーフとして親しみやすい”床”に力を注いできました。)
【青い球に座す青年キリスト】
青年キリストは右手で冠を差し出し、左手には閉じた巻物を持っています。サン・ヴィターレ教会の守護聖人ウィタリス(向かって左端)が、キリストから冠を、自分の殉教の勝利の証として外衣で覆った両手で受け取ろうとしています。守護聖人ウィタリスは、大天使に誘導されています。
右端は同じように大天使に誘われて、司教エクレシウスが、やはり衣で覆った両手で教会堂模型をキリストに差し出している場面がモザイク芸術で描かれています。
【楽園の四河】キリストが座す青い球の下部の水の流れは、左右に二本ずつ。赤いアネモネや、白い百合が咲き乱れ、孔雀や鳥たちが群れる四河、ビジョン、ギボン、チグリス、ユーフラテスを表しています。
ラヴェンナ・モザイクの特徴とも言える緑野を多く取り入れた画風は、後の黄金で埋め尽くされるモザイク壁画よりも、風景画に慣れた私たちの心に馴染みやすいのではないでしょうか?
【神の小羊】
ペルシア絨毯を敷きつめたようなアカンサス唐草文様で覆い尽くされた内陣天井の中央には、四天使が掲げる果物モチーフの環の中に、星の輝く空に出現した【神の小羊】が描かれています。
【厳しい壮年キリスト】
内陣空間の見張り番のように、大アーチには15個のメダリヨン(円形枠)が並んでいます。それぞれ十二使徒と、二聖人(ゲルウァシウス、プロタシウス)が配置され、中央に長髪と髭をたくわえた壮年キリスト像が置かれています。キリストの左右に、ペテロとパウロのモザイク画が描かれています。
まとめ
サン・ヴィターレ教会のモザイク壁画、その”ごくごく一部”をご紹介させていただきました。内陣空間左右を囲む南北の壁には、旧約聖書の世界と、新約聖書の福音記者肖像を描いたモザイク壁画が展開されています。また次の機会にご紹介しましょう。
最後に、最世俗のパネル2枚をご紹介して本日のブログを終わりにします。参考文献を元に執筆しています。本文内容の無断転用はお控えください。写真著作権は撮影者に帰属します。
皇帝ユスティニアヌスのモザイク壁画
アプス左、下方パネルには、ユスティニアヌス皇帝が描かれた有名なモザイク壁画があります。紫色のマントを着て頭上に聖性を示す光輪を頂くユスティニアヌス皇帝が威厳をもって中央に立っています。皇帝の右に司教マクシミアヌス、皇帝とマクシミアヌスの間に上半身を覗かせているのが、建造資金を一人でまかなった銀行家ユリアヌスと考えられています。司教マクシミアヌスの右隣に二人の助祭、向かって右端の助祭は香炉をもち、もう一人は宝石で飾られた福音書を持っています。司祭マクシミアヌスは十字架を握り、ユスティニアヌス皇帝は手に底の浅い黄金性の聖体皿を持っています。
皇帝の左側には二人の高官、兵士たちの部隊は、コンスタンティヌスがしたように、盾にキリストのモノグラムをつけて信仰を表明しています。
皇妃テオドラと侍女たちのモザイク壁画
高官に導かれて建物に入らんとする皇帝と同様に紫の衣をつけて宝石が散りばめられた冠と光輪を頂く皇妃テオドラ。皇妃は前方(向かって左奥の聖所、すなわちサン・ヴィターレ教会に聖杯を)差し出すように、皇帝のものよりは小ぶりな黄金聖杯を手にしています。左端の男はカーテンを持ち上げて、聖堂に導こうとしています。テオドラの衣装の縁には<マギの捧げもの>の図柄が縫いとられています。皇妃の右側(向かって)は侍女たちです。
ビザンティン様式のモザイク芸術へ
北イタリアのラヴェンナは、かつて古代都市としてアドリア海に流れ込むラグーナ(潟)に守られた自然の要塞ともいえる港でした。五〜六世においても、土砂堆積で港の機能は衰えたとはいえ、軍港のクラッシス地区と、商業港としてのラベンな地区は依然として健在であったと言われます。402年ラヴェンナに西ローマ帝国最後の都となり、476年西の帝国の末期を見届け、東ゴート王国の都となり、六世期中頃東ローマ帝国(ビザンティン)帝国のイタリア支配の拠点となった歴史の流れの中で、ラヴェンナのモザイクは時代の影響を確実に受けながら作られてきました。
【青い球に座す青年キリスト】の表現は自然主義的なローマ的なリアルな様式ですが、二面のパネルはビザンティン様式の法則に従って、人物たちはすべて正面を向いています。数多くの宗教的主題の同次元の空間に、世俗の二枚のパネルによって皇帝と皇妃を誇らしげに登場させてことは、ビザンティン帝国における「政教一致」の体制(また難しい言葉が、、。)を端的に示しています。
イタリア半島にあって古代ローマ都市の深い伝統を持ちながら、当方ビザンティン帝国に組み込まれてた都市ラヴェンナのキリスト教美術が担わられた特殊な状況がサン・ヴィターレ教会のモザイク壁画を通して浮かび上がってくるのです。
世界遺産・ラヴェンナの初期キリスト教建造物群/Monumenti paleocristiani di Ravenna
サン・ヴィターレ聖堂 5世紀半ば/la basilica di San Vitale
ガッラ・プラキディア霊廟(れいびょう)5世紀半ば/Mausoleo di Galla Placidia
大聖堂付属(正統派)洗礼堂(ネオニアート洗礼堂)/il Battistero Neoniano
大司教館礼拝堂/cappella Arcivescovile
サンタポリナーレ・ヌォーボ聖堂/basilica di Sant’Apollinare Nuovo
テオドリック廟/il mausoleo di Teodorico
アリアーニ(アリウス派)洗礼堂(異端派)/battistero degli Ariani
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂/basilica di Sant’Apollinare in Classe
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会(Basilica di San Giovanni Evangelista)
サン・フランチェスコ聖堂/Basilica di San Francesco
参考文献:【地中海都市紀行】名取四郎
【ビザンツ 驚くべき中世帝国】ジュディス・ヘリン 井上浩一監訳
【初期キリスト教美術・ビザンティン美術】ジョン・ラウデン著・益田朋幸訳
【イタリア12小都市物語】 小川煕
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