プロローグ|ラヴェンナに降り立つ
ボローニャからローカル線に乗り換え、
車窓から
平坦な耕作地帯に点在するイタリアの住宅が流れるのを眺めるたびに、
ラヴェンナまでの駅名をひとつずつ追いながら、
「ああ、また戻ってこられた」と、心が湧き立ちます。
1時間の旅が、
私をまた、ラヴェンナへと迎え入れてくれるのです。
ラヴェンナ駅は、
ようやくエレベーターが設置され、
世界遺産の街にふさわしく駅のトイレが整備されとはいえ、
街の中心地に向けて改札を出る風景は、
留学当初、心躍らせて降りた景色とあまり変わりなく今も私を包んでくれます。
観光地というより、
駅前に乱雑に停められた自転車たちが、
そこに暮らす人の生活を物語っています。


①ラヴェンナという町
そんな穏やかな表情の裏側で、
ラヴェンナはきわめて特異な歴史をもつ町でもあります。
ラヴェンナは、世界遺産の街
北イタリアの小都市、ラヴェンナは、古典末期キリスト教美術の宝庫です。
ラヴェンナの初期キリスト聖堂・礼拝堂群、内部空間を荘厳に飾るモザイク芸術を含め、1996年世界遺産に登録されました。
それは、ちょうど私がラヴェンナでモザイクを学んでいた頃と重なります。
ラヴェンナ(Ravenna)は、北イタリアのロマーニャ州ラヴェンナ県に属し、人口約15万人の県都です。ボローニャから東へ80キロ、列車では、ローカル線で1時間かけ、のんびり旅します。
② なぜ都になったのか
いま目の前に広がる穏やかなラヴェンナの風景からは、
ここがかつてローマ帝国の命運を担う「都」であったことは、
すぐには想像できません。
「モザイク」という有名な美の遺産を一言で紐解きたくとも、
この街の複雑な歴史はあまりに複雑です。
「モザイク」と出会って30年、ようやく一筋の光がスゥーっと静かに語りかけてくれ始めたようです。
キリスト教をローマ帝国の国教としたテオドシウス大帝は、
帝国を二人の息子に分割統治させました。
ミラノを首都とする西帝国を治めた次男ホノリウスは、
402年、首都をラヴェンナへと遷しました。
ラヴェンナ遷都 402年|西ローマ帝国の首都
③海と湿地が守った町
ラヴェンナは、
ベネツィアからアドリア海に沿って南下した場所に位置しています。
車でおよそ2時間強、約150キロの距離です。
鉄道のない時代、
船は政治と文化を運ぶ大動脈でした。
湿地に囲まれ、アドリア海に面した古代ラヴェンナは、
天然の要塞であると同時に、
港湾都市としてもきわめて優れた立地条件を備えていました。
ラヴェンナは古代ローマの港として開かれ、
アドリア海とポー川の潟に囲まれた地形を生かし、
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス時代には軍港が整えられました。
その後、街の人口増加に伴い、
海から離れた内陸部に商港が整備され、
ラヴェンナは港湾都市として発展していきます。
この立地条件が、
ラヴェンナを歴史の表舞台へと押し上げました。

④ モザイクが積み重なった理由
ミラノから遷都したラヴェンナは、
地方都市から一変して、
ローマ帝国皇帝にふさわしい壮大な都市となりました。
公共建造物や、教会が建設され、
内部は美しいモザイクで飾られました。
ラヴェンナは西洋美術史の文脈だけでなく、
西洋史の流れを
政治的、
宗教的にも紐解かないとわかりにくい部分があります。
「モザイク」という美的な側面を史跡ごとに見入ってしまうと、次第に時代の迷子になってしまうのでした、、。
476年帝国が滅びるまで、西ローマ帝国最後の都として栄えたのち、
東ゴート王国の都となりました。
さらにイタリア総督府が置かれ、
6世紀はラヴェンナ栄光の時代となります。
皇帝や皇后の命のもと、
モザイク芸術はきらびやかに育まれました。

⑤世界遺産が多すぎる理由
ラヴェンナは、フィレンツェのようにルネサンス文化が花開くことはありませんでした。
それは一見、文化的停滞のようにも見えます。
しかし結果として、中世の都市構造や建築、モザイク装飾が大きく破壊されることなく、現在へと受け継がれる「幸い」となりました。
ルネサンスによる大規模な改変を免れたことも、
ラヴェンナに世界遺産が集中する大きな理由のひとつといえるでしょう。
さらにラヴェンナは、
支配者が変わっても、都としての機能を失うことがありませんでした。
建物は破壊されるのではなく、
使い続けられ、受け継がれていきます。
初期キリスト教、
西ローマ帝国、
東ゴート王国、
ビザンティン帝国。
それぞれの時代が、
それぞれの価値観でモザイクを残しました。
その結果、
ラヴェンナには異なる時代の最高水準が、
同じ町に同時に残ることになったのです。
結び|積み重なった時間としてのモザイク
ラヴェンナが特別なのは、
何かを新しく作り続けた町だからではありません。
何かが壊されずに、
積み重なってしまった町だったからです。
モザイクのテッセラがそれぞれを支え合うように、
この街の歴史もまた、
いく層にも重なりあいながら、
その響きを今に伝えています。
巻末注|このページについて
※参考資料は巻末にリンクしています。
このページについては、
結びの後に地図と次章へのリンクを配置しています。
私が初めてモザイクを制作したのは1994年、
ラヴェンナの夏季セミナーでの体験でした。
あれからまもなく30年を迎えようとする今も、
変わらず私はモザイクに魅せられています。
本文は、留学時代から現在まで、
視覚を最優先にモザイクを見続けてきた中で感じてきた不足分を、
信頼できる資料をもとに、個人の利用目的でまとめたものです。
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写真の著作権は撮影者に帰属します。
参考資料:イタリア12小都市物語 小川煕
wikipedia
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